私が「意識高い系」だったころの話
昨日、ニュースサイトを読んでいるとこんな記事があった。
「意識高い系は痛いヤツが多い」という記事だ。
たしかに、やたらかしこぶって横文字を使ったり、大言壮語を吐く割には行動が伴わない、など見ていてイラッとする人種であることは間違いない。
だが、かくいう私もかつては「意識高い系」の人間であったので、
過去の自分をみているようで、なんだか気恥ずかしい気分になるのである。
(自分で「かつて」とか過去形にしているが、まだ怪しいかも…)
そこで、今回はかつての恥ずかしい時期の私を供養する意味も込めて、
私が「意識高い系」だったころの話についてしてみよう。
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◆起業はしたい!でも気持ちだけ!◆
では、いつごろ私は「意識高い系」だったのか。
それは、社会人1年目から27歳くらいまで。
つまりまるまる4年間は「意識高い系」だったのだ。
ちなみに、当時どんな感じだったのかというと、
国家公務員のくせに「将来は起業したい」みたいなことを言っていたのだ。
なぜなら、公務員は給料こそ保障されているものの、大幅な昇給はあまり見込めず、民間企業に就職した友達とは格差が開くばかりで焦っていたからだ。
それに加えて、就活で希望した企業からお祈りされまくっていたこともあって、
「見返してやりたい」という気持ちもあった。
要するに、コンプレックス発の動機である。
だから、国家公務員という固い仕事をしているくせに
「いつか起業する」とか豪語していたのである。
だが大口をたたく割には「どうやって」の部分がなかった
そして「何かしなくては」という焦りが高じてネットワークビジネスに入会したのを皮切りに、自己啓発やスピリチュアルなどに傾倒していったのである。
だが、これらの経験を通して言えるのは、
経験だけが残って、お金は失うばかりであった。
もちろん、ネットワークビジネスはしっかりと取り組めば稼げた可能性もあったのだが、なにぶん当時の私は「口だけ王子」だったので、夢や展望ばかりを語って何も行動をしなかった。
むしろ、中途半端に行動して友人を一気に失ったりした。
今となっては笑い話にできるが、当時の私は相当痛いやつだった。
きっと友達に後ろ指を指されまくっていたことだろう。
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◆私の目を覚まさせた「地獄のミサワ」◆
そんな感じでまるまる4年ほどいたのだが、
どうやって私は「意識高い系」から目を覚ましたのか?
キッカケは冒頭の画像にもある「地獄のミサワ」画像だ。
当時、Facebookで意識高い系を揶揄する投稿が流行っており、
それをいろんな人がコメントでネタにしていた。
だが、当時の私にとっては全く笑えなかった。
「まんま俺のことじゃねーか!」と感じざるを得なかったからだ。
そこから私は「意識高い系」からの脱却を図るべく、
自分のダサいところと弱点と向き合うことにしたのである。
そして、集客代行をフリーで行いながら未経験の営業の仕事に転職。
筋トレと出会って、己を鍛え上げて今に至るのである。
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◆意識高い系に陥らないために◆
筋トレと出会って、地に足をつけて仕事や人間関係を本気で改善できたわけだが、
気を抜けばいつでも「意識高い系」の私が頭をもたげてくる。
そこで、どうしたら「意識高い系」に陥らないでいられるのか、
私なりに出した結論は下記の3点だ。
①「どんな手段で」「どんなやり方で」を徹底的に考える
「意識高い系」と「意識が高い人」をわけるのは、
実態として行動や中身が伴うか伴わないか、という部分が大きい。
だから”どうやって””どんな手段で”ということを考えれば、
行動が伴わない「口だけ王子」になるのを防げる。
ちなみに、自己啓発系のビジネスをやろうとすると「意識高い系」に振れやすくなるので、何か新しいビジネスを考えるにしても、そっち方面では考えないようにしている。
②他人に期待しない。
意識高い系の特徴は、とにかく実態と行動が伴わないことだ。
そして、他人に期待する人ほど行動を疎かにして口だけ王子になってしまう。
だから、他人に期待せず、自分でコントロールできることだけに集中することにした。
そうすることで、目標の立て方もより具体的なものになった。
例えば、「起業する」「独立する」ということを目標にするのではなく、
「毎日誰かに不動産の話をする」「ブログで欠かさず発信する」と言った風に。
③筋トレする
筋トレをすると自分の弱い部分、汚い部分を直視せざるを得ない。
意識高い系から「意識が高い」に昇華していくには、自分を見つめなければいけない。
そのためには筋トレが非常に効果的だった。
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いかがだっただろうか。
私の恥部ともいえる過去だが、隠さず脚色なく話したつもりだ。
だが、過去の「恥ずかしい私」を供養するには、
本当の意味で私が変わらなくてはいけない。
心も体も成熟し、認めることでようやく
「意識高い系」だったころの私に線香をあげられる気がする。
今回はここまで。