英語を勉強するより筋トレした方がコミュ力が上がる?
しきりに「グローバル化」ということを言っていた。
日本にいろんな国の旅行者が来るようになったのを見ても、
海外に行かずとも外国人と接するのは避けようがなくなっている。
こうした状況を見て「まず外国語(英語)を習得しよう」と
考えるのが一般的なのだが、はたして外国語だけをマスターすれば
それでいいのだろうか。
そこで、今回は「外国語だけでいいの?」ということを話そうと思う。
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◆「しゃべれるのがすごい」のは国内だけの話◆
まず、明らかにしておきたいのは
”外国語を話せるように勉強すること”自体は素晴らしいことだ、ということ。
自分の枠を広げようと異なる文化の言語を学び、
コミュニケーションをとろうとするのは非常に立派である。
だが、「しゃべれるだけ」では片手落ちだ。
まず「しゃべれるだけ」の人間は、向こうの国に行けば、
乞食だって幼児だってその国の言語を問題なく喋れている。
「外国語が話せる」ということ自体が、
相手の国の人から見て、優れているわけではないのだ。
自国以外の言語をしゃべれる上で、それ以外の個性や魅力があって、
はじめて国際的に使える人材といえるのではないだろうか。
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◆流暢に喋れても「ふつうの人」。鍛えてる人はリスペクトを集められる◆
で、いつもどおり結論としては
「筋トレをすると、よりコミュニケーションがとりやすくなるのでは?」
ということが言いたいわけだ。
なぜなら、いくら異なる言語の文化だとしても
見た目は不変だし、よほど文化が異なる国でなければ、
鍛えあげた人は一定のリスペクトを集められる。
いくら流暢に「喋れる」としても、現地では「ふつう」にすぎないが、
「鍛えている・マッチョ」というのはリスペクトを勝ち取れる可能性がある、
飛び道具になりえるのだ。
そもそも、日本人は「ナヨナヨしてる」「よわっちい」というイメージがあるが、
鍛えてから行くと「サムライ」「こいつ、やるな」と思わせることができる。
要するに私が言いたいのは、
「言葉だけでなく見た目もグローバル化しよう」ということだ。
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いかがだっただろうか。
いつもどおり、強引にトークを捻じ曲げさせていただいたわけだが、
見た目で舐められない、というのは生き物である以上、非常に重要だ。
喋ってコミュニケーションを密にとるだけでなく、
いかにリスペクトを勝ち取るか、ということも念頭に置いて、
マルチリンガルな方々には、ぜひ筋トレに励んでほしい。
ちなみに、私は全く外国語をしゃべれないので、
近々英会話でも学ぼうかと考えているところだ。
今回はここまで